・「ソルフェージュ」という音楽の基礎は、習い始めの子ども以外も、大人の音楽家になっても続ける人が多いのですか?
大人の音楽家の場合はもうある程度のソルフェージュ力は備わっているので、子供と同じような学習をする必要はありませんが、今までのソルフェージュ力を活かして「アナリーゼ(楽曲分析)」や「和声楽」というものをやります。
・続ける人が多いとすると、みなさんなぜしているのでしょう?
例えば文学で言うなら、基礎の部分は「絵本〜児童文学」みたいなものです。ひらがなとカタカナが読めて、漢字も日常生活で困らないくらいの字数を覚え、自分で文章を作って会話したり文字を打ったりできます。
ここまでが5線の音符が読めて、リズムが取れて、書いてある通りに楽器を奏でられる感じです。
本で言うなら「字を見ながら音読する」のと同じです。意味が理解できていなくても、感情を込めなくても「音読」はできます。
これがもっと難しい文学になってくると、例えば日本の純文学だとするなら語彙もどんどん増えて難しい漢字も多くなったり、昔の言い回しもわからないと意味がわからなくなったりもします。話し言葉、方言、身分によって言葉遣いが変わったり、文化の違いで常識も変わるのでそこを知らないと面白さが伝わらないなんてこともあります。
さらにもっと進むと例えばロシアの文豪ドストエフスキー辺りになると、そもそも社会主義国家とはどんな世界なのか?ロシア人はどんな特徴があるのか?どれくらい広大な土地で民族はどれくらいいるのか?名前の付け方には独特なルールがあって、同じ名前の人がたくさんいて、愛称というものも当たり前に存在している。
と言う下地がわかっていなければ理解も面白さも半減します。
そして長い作品になる程、読み手側の読書スキルが大いに必要となります。
レ・ミゼラブルなんて気が遠くなるほど長くて私は読んでいませんが、最初の1巻くらいはほぼ情景描写、人物紹介、背景で終わると聞いて、それだけで読む気が失せます。
そして、「これだ!」と思ったのですがレ・ミゼラブルの漫画を見つけまして、楽器演奏はこれに似ていると思いました。
原作をしっかり勉強し、自分の漫画スキルを使って原作を再現する。
あの長くて難解な文学を読んで理解して、漫画という作品にして新たに命を吹き込む。
まさにこの「理解して」の部分が我々大人の音楽家、さらにもっともっと上のレベルの音楽家たちが勉強し続ける理由です。
深く理解するほど、演奏は説得力を帯びて人を惹きつけます。
作曲家たちは皆天才です。その天才達が元々備わった天賦の才能と、作曲技術・知識を駆使して作り上げた作品を理解するのには並大抵のことではありません。アインシュタインの頭の中を理解するのと同じくらい困難です。なので音楽の研究者達の文献などを読んで勉強します。音楽の場合は知識だけではなく「音と時間」という感覚的、空間的なものも混ざってくるのでより複雑になってきます。
上の先生方ほどよく言います。
「一生かかっても一人の作曲家すら完璧に理解するのは難しい」
レベルが上がると曲の理解の勉強の仕方は桁違いになってきます。
1曲を理解するのに関連する30曲を弾いて勉強するとか。
本当に果てしがないのです。
・宇川さんが続けているバッハなどの楽譜の勉強はソルフェージュですか?また別ですか?
楽譜の勉強はソルフェージュの一環である「和声学」の要素が必要です。和製学は楽典よりももっと専門的な音の構造の勉強です。和音の仕組みなどを理解することで「和声分析」「アナリーゼ(楽曲分析)」などと言ったりします。
生徒はまだもちろん自分で分析はできませんが、しっかり勉強していればこちらのいうことはある程度理解できるようになります。
私の場合は音符の読み書きはもうできるので、さらにその上の構造などを勉強します。聞いていてなんとなく「曲の感じが変わった」と感じることがあると思いますがこれをちゃんと仕組みを理解し、言語化する感じです。生徒に教えるためにも、自分が楽譜をより深く理解するためにも必要な作業です。
ただ「なんか悲しい曲調に変わったから悲しい気持ちで弾く」という曖昧な感じではなく「何調から何調に変わることによって悲しさを表現している。これが音の高さが変わって1曲の中で3回出てくるので3回目は一番クライマックスになるように曲を仕上げるとより効果的になる」などのように理由がちゃんとあっての表現方法になるので、作曲家の意図とは外れた表現方法にはならなくてすみます。
・宇川さんが楽譜の勉強を続けている理由をもう1回教えてください。
上記に書いてある中に全て含まれています。


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