演奏会の譜めくりスト
クラシックの演奏会にはピアノ奏者の譜面をめくる「譜めくりスト」というのが存在します。
楽譜のページめくりをする人のことを言います。
「たかがページをめくるだけ」と思われると思いますが、意外と「たかが」ではないのです。
先日久しぶりに大きな演奏会の譜めくりをしました。
約25年ぶりでしょうか。
私もこれまで色々な演奏会に関わってきましたので、その経験を生かして今回の譜めくりに臨みました。
曲のレベルと自身のピアノレベルは同等くらいが望ましい
要は譜めくりストも「練習すれば自分もその曲が弾ける」くらいが望ましい。
「たかがページをめくるだけ」とタカをくくっていると本番で失敗する可能性が高いです。
随分前にアルゲリッチのラフマニノフの2台ピアノ組曲第二番を譜めくりをした知人の話を聞きました。
「タランテラ(ラストの曲)で譜めくり失敗してアルゲリッチが舌打ちして睨んでた」という話を聞きましたが、これはよくある話です。なぜならこの2台組曲はそれぞれがパート譜のようになっており、相手の音が書いてない楽譜だからです。
しかも結構ぎちぎちに音が詰まっていて自分が弾いたことがない限り確実に迷子になります。どっちもピアノの音だし。
もう1つ記憶にあるのがYoutubeでラフマニノフのチェロソナタのピアノをユジャ・ワンがやっていた時の動画。
4楽章で譜めくりストがかなり早くめくってしまってユジャが恐ろしい形相で睨んでました。
これ私もこの曲でしかも同じ4楽章でされたことがあるのでとてもよくわかります。
この楽譜は本当に音符がぎゅうぎゅうで私も最初楽譜を見ながら聞いてるだけの頃はよく迷子になりました。1秒でも「あれ?」と思ったらもうダメです。
舞台の上で一度こういうことが起こるとピアニストと譜めくりストとの信頼関係が一瞬で崩れ、スパーンと戻したところで「また迷子になるんじゃないか」とピアニストに不信感と不安が芽生えます。
こういった大曲の最終楽章ともなるとピアニストはすごい集中力で弾いています。
そんな時に「また迷子になるんじゃないか」という心配は本当に集中力が削がれるし腹立たしくもあります。
一方譜めくりストの方はもうここから完全に怯えてしまって「また失敗したらどうしよう」という必死の形相に変わります。
肩に力が入り「もう二度と失敗できない」という生死をかけていると言っても過言ではない状態になります。
そりゃあのユジャワンの演奏を邪魔するようなことは世界中の観客が許さないでしょうし、譜めくりスト自身だって望んでないはずです。
ではなぜこんなことが起こるのかというと、現地で譜めくりストを調達してるからだと思います。世界中周るのにいちいち連れて歩けませんからね。
それなりにピアノが弾ける人が選ばれてると思いますが難しい曲ほど「弾いたことある経験」がある人じゃないと怖いです。音源を聴きながら楽譜を見るだけじゃ足りなくて、実際指を動かして目と耳と指をリンクさせないと余裕のある譜めくりはできないと断言します。
上記の経験を踏まえて
というわけで「これは絶対失敗できない」と思い、私も譜読みを始めました。
今回はブラームスのチェロソナタ、クラリネットソナタ、クラリネットトリオという重厚感のあるプログラムです。ピアノパートだけではなく他のパートの譜面も見るようにしました。
チェロの場合はト音記号、ヘ音記号、ハ音記号が入り混じるので少々混乱しますが、元々チェロの方とは演奏することがあるので少しは慣れていました。
クラリネットの楽譜は「ト音記号なのに音源と違う音がする」ということに驚きました。なんでしょうあれは。調べるとA管とかB管とかあるの?
いまだにどういうことかよくわかっていません。
なので音符の高低と耳でなんとか慣れるようにしました。
ピアノがずっと同じ音形の場合「本当に今ここで合っているのか」とならないように他の楽器の動きを見ておく必要があります。
とにかく不安要素を無くす。
譜めくりストとして心掛けたこと〜奥義〜
私の理想の譜めくりはこうです。
- 存在感、気配を消す。
- 服装も髪型も派手すぎず地味過ぎずお洒落すぎずダサすぎない
- 袖は長すぎず短すぎず(肌の露出を控えるため)
- 微動だにしない(前髪指で触るとか絶対しない、目線を客席とかに向けない)
- 余裕を持つ(必死の表情も目につきます)
- 脱力する(何にでも通じます)
- 急な動きをしない
- 物音を立てない(椅子の軋み音も出ないように腹筋を使いながら椅子に着座)
- 精神を演奏に溶け込ませる
最後が「奥義」です。
精神を演奏に溶け込ませる
どういうことかというと「異質なものは目立つ」ので
その場の音と空気と共に渾然一体となるような存在になる。
これです。
舞台上で素晴らしい演奏者達がブラームスの世界に没頭し音楽を奏でている中、譜めくりストだけが「私はページをめくるだけ」の浅い心持ちでいると一人だけ違う気持ちで舞台上にいることになります。
それは舞台上で違和感のある存在となります。
ですので私は譜めくりという重大な任務を遂行しつつも
「精神は演奏者と共に」
を一瞬たりとも忘れませんでした。
ここで気をつけなければならないのが、演奏に没頭してしまい自分も興奮して体が動きそうになる時にグッと堪えるということ。
頭は極めて冷静に、動きは最小限に抑えて。
しかし気持ちは・・・!
このバランスが実にむずかしい。
「精神は演奏者と共に」
このためにも練習には何度も参加させていただきました。
ブラームスの世界を堪能し感動していました。
本番の前には皆でおやつも一緒に食べました。
そしてついに私は今回やり遂げました。
本番終わったあと、後輩達に
「譜めくり素晴らしかったです!!「あれ?いたの?」ってなるくらい気づきませんでした!ピアノ弾いている姿も素晴らしいけど譜めくりも本当に素敵でした!」
まさかの譜めくり大絶賛。
1音も弾いてないのに褒められたの生まれて初めて。
興奮した面持ちで顔が上気してましたが、おそらく演奏が素晴らしかったのでその影響でしょう。
ただその勢いでまさかの「譜めくり大絶賛」をしていただいたのでたいそうすごいことをした気分になってしまいました。
でも本当は褒められる存在にすらなってはいけないのに・・・という複雑な思いもありましたがそこも汲み取ってくれた上での大絶賛でした。気配を感じさせないことがいかに大切なのか彼女もわかっていたんです。
後から録画で見ると反省点もいくつか。
入りがもう2秒早ければよかったです。
せっかく優秀なステマネさんが合図出してくれてたのに一呼吸置いてしまってました。
ステマネさんのタイミング流石だと思いました。
まだまだ完璧ではありません。
譜めくりは奥が深いです。
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